正すこと…正されること
2011-05-14


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今週は、震災の影響で留めていた
関西の出張も含め、かなりの強行スケジュールをこなしていました。

忙しさは、決して自慢にはなりませんが・笑。

それもこれも全部、自分の段取り不足が原因ですから
私も、まだまだ・・・勉強不足ということなのでしょう・笑。

そういう気づきも、先に気づかなければ意味がないのが
正すべきこと、なんですが・・・。

出張も、予定外のスケジュールも
なんとか無事に済ませ帰ってきて、

間髪入れずに、カウンセリングをこなしていると

急に、目に激痛が走り
目が開かず、涙が止まらなくなって…

もちろん、席を外して洗い流しに行きましたが、
よくよく考えれば、疲れが目に出るタイプであることを忘れてました。

忙しいままだと、ホント忘れてしまうものです。
こういうことも、やはり自分自身で正すべきことなんでしょう。

本日は、まだまだやるべきことも山積みなんですが、
あえてボンヤリと、これまでの整理整頓などをこなしています。

いつもの席、いつもの曲、いつもの自分…

そんな流れに、自然と身を任せていれば
いつの間にやら、窓越しの空を眺めていました。

いつもと変わり映えのない空ではあるのですが、
空の色、雲の流れ、変わらぬことの認識…

ただただボンヤリと、しばらくジッと見入っていました。

気が付けば、普段通りの自分の波長に戻っていました。

俗にいう、抜けた〜という感覚なのでしょう。

自然の在り方こそが、やはり万物の基準であり
自分を見失ったときに照らし合わせるべき
自浄作用の、基準なのでしょう…。

特別な知恵も資格も必要なく
ただひとつ、そのような自然のありがたみを忘れずにいれば
人はそうそう、軸に狂いが生じるものではない…と思えるのです。

震災を起こしたのも、自然の行いであることに間違いはありません。
しかし、大切な基準を与え続けてくれていることも事実なのです。

疑うこともできれば、信じることもできます。

ただし、疑えば基準を失い。
信じれば、正されるものなのです。

私個人としては・・・

人の定めよりも、自然の定めを見続けられるような
そんな、信じる心持ちの人生を送りたいと思います。

人の定めは、正否の二極をつくりがちですが、
自然の定めは、己との対局を示してくれるものなので・笑。

自らの経験を正すこと、
信じることで正されること。

人生で大切なものは、そんな単純なことの繰り返しなのでしょう。
[日々徒然]

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